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私家版 カリキュラム研究所

まえがき

日本人全てが今より少しだけ努力すれば、もっと社会が持てる選択肢も増えるし、それだけ社会も優しくなるのに…、まつど(当時8歳)がそう思ってから、それを原理主義としてこれまで生きてきた成果をまとめてみる。 

質問等はツイッター(@matsudotsuyoshi)もしくは読書メーターの「まつど@人文」もしくは「まつど@理工」まで


もくじ
一章「できない」の構造
二章 世界一面白いカリキュラム研究会(仮称)→2014/6/4に 私家版 カリキュラム研究所に名称変更 サイト方針も変更中:今月以内に報告します。
三章 カリキュラム案


一章で「できない」とは何かを考察して…といっても多くはみなさんに考察を丸投げしている駄作ですが。二章で、世界で一番面白いカリキュラム研究会(仮称)について解説しています。時間が無い人は三章だけでも満足していただけると思います。文字が小さいので見づらい人はワードに貼って文字サイズを調整して御覧下さい

総括 H25 3/11 本編を読んでいない人は先に本編を!

★一章は、ぐりこのおまけ程度の感覚で書いたので、対応関係が不明瞭で全体的に粗雑ですが、「できない」研究の本がほとんど無いこと、また自分の「できない」点検という意味では役目を十分に果たしていることを考慮し、掲載しました。一章に関してはデーター蓄積期間をとって数年後に書き直して、元ネタ●九鬼周造『「いき」の構造』のように哲学や文学を踏まえた内容にする予定。

★二章は、「世界」が名称となっています。これは、「私」にとって「世界」で一番といえるようなカリキュラムを自分で作ってみようという趣旨で考案されたものです。ただし「世界」が文字通り「世界」であるならば、と今僕は考えています。
二章を外国語に訳して海外まで勢力拡大を狙えないものか?でも訳しておしまいでは活動が広まらない。例えば英語に訳そうと思ったとする。人を惹きつけるための起爆剤に英語で書かれた魅力的なカリキュラム案が必要になる。そもそもアメリカやイギリスなどでも、「一生学んでいく」ことに意味を見出すことのできる人がたくさんいるのだろうか。図書館など学びインフラが十分に整っているのだろうか。受験体制とよばれるものはあるのだろうか。宗教教育の実態はどんな感じ?…考えていくとわからないことのほうが多くて困る。(中国、韓国、ドイツ、フランス、ロシアも視野にいれているが、やはり勉強不足で現地の状況が僕にはよくわからない)

僕はこのサイトを大学生を含めた学生と学校従事者に向けて立ち上げた。そのため、できるだけ幅のある内容記述にしたつもりで、学ぶ意志があってこのサイトまでたどり着く人ならサイトの内容を理解できるだろうと考えている。ただ、よく考えてみれば、前提として「楽しんで学んでいく」ことを僕が公言するのに対し、それを現実離れした話だと思う人が少ないのは、この国が恵まれているからかもしれない。

ネット環境の浸透でトップダウン式で優秀な人材を集めることが可能になった。そして僕はボトムアップ式で大多数の人の学びの環境を変えようとしている。「楽しんで学ぶ、一生学ぶ」ことが多くの国であたりまえのことになる、つまり世界基準の価値を持つようになれば僕らはどんな恩恵を被るのか。

僕が一番期待したいのは、異なる国に住んでいる人同士でも、Eメールやブログを通して日常的に本質的な議論をすることが今よりずっと気軽になることだ。今、既にそういうことを実践している人はそれなりにいて、特に海外の大学へ行くような活動的な人に多いと思う。意識の高い人同士が集まる場所は今も昔も、本質的な議論をする環境がととのっているものだ。しかし、最近の反日運動の報道をみるにつけて、日本帝国がしかけた十五年戦争の時代と相変わらず国内に大半を過ごす庶民にとっての外国(とそこに住む人)のイメージはステレオタイプを抜け出していないのだと気づかされる。これだけネット環境が整っていても基礎リテラシーを高めることを怠っているため、あたかも満州事変前の日本人が抱いていた中国人像と同じようなレベルでしか、彼らを理解していないし、またその逆もしかりだ。二章で援用した養老氏の議論を用いれば、日本人と中国人との間における共通理解部分を増やしていかなければ、お互い分かってもらえない考えが肥大する、つまり両者ともわけのわからない方向に走ってしまうのだと考える。

本質的な議論…例えば、僕なら、生活の大部分を日本で暮らしながら、自分のよく知らないこと「時間とは何か、死とは何かetc」を、中国に住む人とネットを通じて、素人なりにお互い時間をかけて考えていく関係を作ってみたい。前もって留学生や現地人で、自分で問い直していく作業に意義を持つ人を見つけ出しておく必要があるが、それだけ手間をかけたとしても自分達が自明に感じていることを点検していけるのなら元はとれる気がする。

まず国内で世界で一番面白いカリキュラム研究会(仮称)を広めないと始まらないけど、僕はどうすればいいのかわからない(笑)多分そんな難しいことではないから、ゆっくり考えていきます。良書を選別したカリキュラム案を、例えば国立大学ごとにサークルを作って厳選提示してみれば、何か派閥的な競争意識があって面白いかな…と思ったりするけど、面倒だから誰もやらんでしょ。ただ、例えばもし僕のカリキュラム案を全部やってしまった人が本のヘビーユーザに変わること間違いなしであることを考えれば、大型の本屋さんと契約して良質な情報による啓蒙を学生が担う代わりに、金一封をいただく…そんな小遣い稼ぎがあってもよさそう。

「ゲリラ運営」にした訳は、「面白い」カリキュラムといっても僕が提示した真面目な感じのものや『World's funniest joke』のような滑稽な感じのもの、色々なカリキュラムが出てきて、集約サイトを作るのが難しいと思ったからですが、工夫次第では集約の道も可能なのかもしれない。

独学カリキュラムだけでなくて、先生が学校でどうやって教えていこうか…そういったカリキュラムを作る人がいてもいいと思うし、さまざまな多様性を確保するために「自分で自分が本当に欲しいカリキュラムをつくってみる」というぼやけた表現にしてみた。独学はその道を専門にしようと思う人にはお勧めしないが、自分で楽しむだけなら問題ないと僕は考える。


★三章に関して僕は、誰かその道の権威の人が選んだ本を有機的に結びつけるという方法でカリキュラムを作成しました。新書など簡易かつ良書といわれる入門書をたくさん組み合わせる方法でカリキュラムを作ると、それぞれの本の説明が不十分なことで互いに内容の齟齬が起きてしまって、それを自力で解決しようとすればそれだけ時間がかかるし、挫折する可能性が高い。選ぶ側の僕としても、専門家とは程遠い知識しかない状態ではどれが妥当性の高い知識なのかわからない。それなら、既に信頼のおける先生が、その分野と一生仲良くするのに必要なレベルまで効率良く学ぶことができる本を選んでくれていたのでそれを利用すればいいね、という訳です。僕自身も律儀に実践してみた経験としてわかったことは、個人差はあるけれども、いくら進学校のような圧縮カリキュラムで学び、自分で考えられるようになった人でも、その分野を一生涯学んでいけると感じられるようになるためにはあと少しの努力をする必要があるということ。「学力低下」防止の対策として、現行の学校教育のカリキュラムをいくらいじっても(絶対授業時間数を増やしても…)、結局のところ高校までの3年間という短い期間では大部分の人は「生涯学習」の段階まで辿り着かないし、そういった理想を追求するより先に、椅子取りゲームに集中した方がいいという人の方が圧倒多数だと思う。僕も自分の椅子確保のため色々な工夫をしてみたけども、やはり穴がちらほらできてしまったが運の尽き。とりあえずまず受かるのが心身ともに楽な選択かもしれない。大学に入った後に、僕が選んだような本を通じて【本当】に面白いといえる部分を学ぶ…、最初から学校の先生も生徒もそのつもりで勉強していればいいのだと思う。
「今は辛いかもしれないけど、きっとね、大学入った後に面白くなるよ」この呪文はこれからの学校の授業の定番になること間違いなし。

三章はブックリストのようになってしまったけれど、そういうのは僕的にあんまり好きでない。人は本のみで生きる訳ではない。僕なら今年はなべ料理を極めて鍋奉行になるつもりだし、楽器の演奏も適度に続けたいと思っているのだから、それらもカリキュラムの中に取り入れられてしかるべき!生きるということ自体が学ぶことである以上、限られたことしかできない、それらを如何に充実させていくかが大切になってくる。

★全体を書き終わって僕が思ったことは、「教育」に関して色々な議論があるけれども、堅実な方法というのは案外簡単なものかもしれない、ということだ。大学において専門的に研究するなかで、新しいことを発見するためには途方もない努力が必要になってくるけれども、その準備のための「教育」だけが「教育」では無い。大半の人にとっては、人類が今までに積み上げてきた成果を享受するための、準備として「教育」があると考えてそれで十分な気がする。時間をかけて積み上げてきたものを短期間で学べる能力がある人はごくわずかではあるが、それ以外の人でも「楽しんで学ぶ、一生学ぶ」道を選ぶことで計り知れない恩恵を享受することが可能であり、それを伝えることがただ学校の使命なのだと思う。

どうも自分の文章を読み返しても普通すぎて、なんでこんなことに10日もかけてしまったのか…ともったいない気持ちになった。多分これまでに何万人という人が同じような文章を書いてきたのだろうし、その延長上に僕がいるにすぎないのだろう。当たり前のことを人に訴えるのはあまり好きでない。他の人にとっても当たり前なのだから、うるさく思われてしまう。…それでも黙っているのは何かやましい気がする、そんな気持ちが打ち勝ってしまった結果としてこれらの文章を書くことになったのだと思います。ただ自分が一番気になるのは多分同じような活動をしていて基盤が大きい組織が絶対あるような気がしていて、それなら僕がやる必要はないので(こんなめんどーなことやってられね~)誰か知っている人は教えてください!

★今後の課題を箇条書きにして、とりあえず一年は更新停止ということで。さよなら(^O^)/

・ネットは情報量が多いため本稿を読んでもらいたい人に訴えかける工夫をする必要がある。
・ソーシャルメディアに無知な僕は既にネット難民状態であり、そこから脱出する必要がある。
・コンテンツを充実させる。
・訴えかける前に自分が勉強を楽しむ。あせらず着実に。



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  1. 2013/04/10(水) 09:51:30|
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