私家版 カリキュラム研究所

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一章「できない」の構造

一章「できない」の構造

☆「できない」にも色々あるが、本稿では勉強が「できない」とはどういう状態のことをいうのか考察してみる。他の「できない」にも応用が利くと思うので、やりたい人は自分で考えてみてほしい。

「できない」という状態を調べるには、数学的に余事象「勉強ができる」を調べて、その否定を考える方法がある。世の中の大半の啓蒙書はこの戦略をとり、「できない」部分をまず理解することが大事なんだ、それを「できる」に変えていくことでより学力が向上するのだ、と説く。できなくても、できるようにすればいいとすぐ他の肯定的な言葉にすり替えられてしまう、「できない」とは何か。

まず「できない」には否定的なニュアンスが含まれており、気の短い大人はこの言葉を聞くと「できない」ではなくて「やってない」からだとご丁寧に訂正してくれる。何かの分野に関して、「できない」という気持ちを抱えていてもそれを続けていこうと思う限り、自分が「できない」とはあまり考えようとしないようにするだろうから「できない」とは何かといわれると多くの人にとって盲点ではないか。自分の「できない」を考察するのに、とてもいい方法がある。大きな紙を用意(ノート見開き1Pでもいい)して、上に〈評価〉〈時間〉〈環境〉〈憧れ〉〈方法〉と書いてほしい。次にそれらに関して、自分の今の学びの状況を書きこんでいくのだ。同じ人でさえも時代によって状況は変わってくるから、学術調査のように、権威として固定化しない方がいいと僕は考えている。「学力低下」のデータをとって大真面目に議論をしている人をみると、まずその人は楽しく勉強しているんだろうかって僕は思う。そんなつまらない議論に時間をつぶすより、最近私「~」なこと勉強していてすごく楽しいです、って言った方が「学力低下」の住人である僕の心には優しいのに。

5つの項目を書きあげたら、(覚え方は、【ひじかたあほ】「た」ぬき…音に意味はありません)それぞれの枠に自分の現在の学びの状況を書きこんでほしい。あなたの「できない」の正体はお見通しだ!なんて大仰なことをいうほど、学問の誠実さを欠いたまねをする気は僕にはありません。あなたがうまく言語化できない「できない」を表面化するために少々の努力を惜しまぬように。あなたが書きこんだ内容は、決して排反ではなくそれぞれが重なっている状態になるはずです。どこかにその内容を書いたら、他の項目にも入る同じことは省いてもいいです。その重なる部分が葛藤になって、「できない」という状況を作り出しています(定義)。

☆〈評価〉について

〈評価〉は、自分の内側と外側に二分できます。

自分の内側の評価は、外側の評価に大きな影響を受けます。逆をいえば外から大きな影響を受けないで生活することは難しい。例えばクラスで、外の評価である成績がびりの子が、自分を高く評価して、学校で楽しく過ごすのは難しい。なぜなら自分がやっていることに自信を持つことができず、常に疑いの心に苛まれるから。外側の評価を思うだけ羅列してみると競争、テストの点数、志望校、親や周りの反応、学校や塾の先生から嫌われないかどうか、などがあります。自分の内側の評価としては、自分の納得できることをしているかどうか、自信、自尊心、個性、自分らしさ、他の人に迎合していないか、などが挙げられます。自分の〈評価〉というのは、〈環境〉に大きな影響を受けやすい。例えば親がどういった考え方で自分を育ててきたか、それが自分の思考の内側で生き続け自己〈評価〉と不可分になってしまうこと。他にも先生がとにかく勉強をしろ、といって嫌々勉強をするとき、自分の意思〈評価〉と違うことをさせられているが故に「できない」と思ってしまうことがある。

〈評価〉が〈時間〉と衝突する例を考えてみる。例えば、なんとしてでも志望大学に入りたくて効率〈方法〉を過度に重視したため「数学」の面白さに気づかず、大学に入ったら「数学」をやめてしまった人。生涯学習〈時間〉を意識していれば、防げたかもしれないけど、志望大学に入るためには〈評価〉高い倍率を通過する必要があり浪人〈評価〉は嫌だという気持ちが生涯学習に打ち勝った。…こういった人が大人になって数学が「できない」という時、受験時の「数学」への嫌悪〈憧れの余事象〉や諦め〈方法の欠如〉の意思が含まれ、自己の現状肯定、成長否定がみられる「できない」をよみとることができる。

このように一つ一つ自分で分析してみると二つの項目の衝突を調べているつもりが、5つの項目が混ざってしまう。「できない」という状態がとても複雑な状態だということがわかるだろう。

☆〈時間〉について

〈時間〉は方法によって大きな制限を受けやすい。そもそも何かをやることが〈方法〉なのだから、それをやっている間のことが〈時間〉であり、〈方法〉と〈時間〉とは共通項の多い関係なのだ。ではその〈方法〉を選ぶのにどういった〈時間〉幅をとるかという点で、〈時間〉の考察をしてみる。まずいきなり「生涯学習」だという人は、多分いないので、まず手短な試験までに何を勉強するか、という時間幅が考えやすい。定期考査、実力テスト、外部模試、検定試験、入学試験、就職試験などたくさんの試験があり、目標とする試験までに適切な〈方法〉をとって勉強する。〈方法〉が悪ければ、同じ内容を学習するにも大きな差がうまれる。効率の良い教育を受けることができなかった〈方法の欠如〉と思っている人はそれを勉強が「できない」理由にしていることがある。また、どうしてもその試験に受かりたい時〈憧れ〉には、できるだけ他の楽しみごとも排除して勉強に時間を費やすだろう。目標達成のためにはある時間が無駄に思える…この無駄とは何だろうか?
〈憧れ〉達成のためには、休息や息抜きの時間さえ惜しく思えてしまう、こんなとき息抜き=無駄な時間だろう。生の充実のためには息抜きも大切なはずなのだが、他の人が死ぬ気で勉強しているのにそれに対する自分の怠けぶりを比べる〈評価〉と息抜きは無駄になってしまう。

では「楽しくてもすぐに成果がでない、もしくは評価されにくい勉強」をしている時間というのは無駄な時間だろうか。僕が高校・大学入試とお世話になった●吉永賢一『東大家庭教師が教える頭が良くなる勉強法』を参考に考えてみる。(以下引用同書)「大学受験レベルであれば、質問しても調べても答えのわからないものは、無視してOKです」「「残す―捨てる」は、将来の影響から判断する」「不要なものを捨てることで、集中力はアップする」…なるほど「やっておけば将来への好影響が考えられるもの」や「やっておかなければ将来に悪影響を及ぼしそうなもの」を残すという訳ですか。それならば、当面の入試に受からないと希望の職に就けない人や受験に受かることの方が受験の範囲内で大切なものを探そうという気持ちより強い人ならば、成果がすぐに出ない勉強をする時間は無駄に思えるだろう。一方、「受験の範囲内での大切なものを探し」の〈方法〉が分かりそれに重きを置く人なら、焦らずゆっくり学んでいく方に利を感じるから、その時間を無駄とは呼ばないだろう。

 時間には幅だけでなく、その時間をどういう速さで過ごす(速く感じられる)かという観点もある。例えば、本を早く読むか遅く読むかが挙げられる。
時間に関する議論はまだ僕には難しすぎるのであとは各自にまかせる。

☆〈環境〉について
僕はこんな話を本で読んだことがある。

Aさんは、当たり前の教育を受けてきて、常識的なものの考え方ができる。そんな彼(彼女)「以下彼に統一」のような普通に生活できる人でさえ、少し状況が変わるだけで、全ての秩序を破壊してでも、自分の正しいと思う主張を通す人になり果ててしまった。彼はこれまでも同じ物の見方をしてきていたのだが、それでもたまたま支障がでなかった。だから、「普通」に生活してきたのだった。「普通」に生きることの難しさは、いわゆるエリート教育を受け、真面目に自分で考えるようにしてきた人ならば、痛いほど分かるはず。しかし、彼に「普通」を教えた学校教育を含め周りの環境が貧困だったために、「普通」がふつうになり、一旦「普通」がふつうでなくなるとその害が津波のように押し寄せ全てを奪っていったのだった。貧困はその時に顕現するだけでなくて潜在的にずっと続くものだ。幼い頃の貧困が今顕在した例だと僕は思う。自分の世代の抱える貧困が数十年後に噴出することも当然ありうる話だ。(心配…というかもう爆発してるかも)

環境の貧困さは深刻であればその人から幼い時の学びの機会すら奪ってしまうものだ。また、自分が世界をどう見つめ考え理解する作業を蓄積している人と全くしていない人がいて、彼らが「世界が全て変わってしまうような恐ろしいこと」に出会ったとする。そんな気の遠くなるような惨事を前にして誰かが救ってくれるだろうか?これは救おうと思う人が周りにいたとしても、彼らを満足させることはあまり期待できない。なぜなら彼らしかその地獄を経験していないからだ。誰も私を救ってくれる人がいない…彼らがそう思うのも当然だ。恐怖で言葉すら出てこない、頭も真っ白、そんな状況で誰が救えよう。でも、もし自分がそんな状況に置かれたとするならどうだろう?たとえいつものように難しい単語がでてこなくて、簡単な言葉しか思考に入ってこなくても、自分が世界の本質について考えてきた一つ一つが、その易しい言葉に宿って僕を支えてくれるのではないかと希望を持ちながら勉強をするようにしている。環境の貧困さについてそれぞれが自分の周りで起きていることについて考えてみて欲しい。

能力という観点もあるが、僕は敢えて〈環境〉の一項目に入れることにした。例えば記憶力の低さは当面の受験勉強では「できない」要因となるが、「私」が取り換えの利かない存在である以上、結局記憶力の低い自分と付き合っていかないといけないからだ。僕はディスレクシアと認定されないにしても、異常に文字に弱く、頭の中で文字を保持できないと思うことが多い。(ディスレクシアに関しては『プルーストとイカ』参照)例えば、歴史のテストでは、漢字で正確に書くことが要求されるから、まず頭の音の情報のバックアップのために、覚えたい語を分解し、イメージしやすい具体的なものに置き換える必要がある。(例、★ドラクロア→ドラ【ドラえもん、ドラクエ】クロ【黒、クロワッサン】★最高価格令【いこうかくれEい栄…地名です】)次に用語と用語のつながりを覚える必要がある。(例、★アベシェイエス 『第三身分とは何か』【安部さんとは何か?】★モリエール『人間嫌い』【モリゾーの人間嫌い】)最後に音を思い出したところで、それを漢字に変換する必要があるが(蒙恬【猪が草の王冠をかぶって、舌を出すが心臓が飛び出てきそうな様子?】)、簡単な漢字の組合せだと逆にいつまでたっても覚えられない。知っていて識別できる段階から、書くという段階に果てしない距離を感じる人は他にも結構いるのではないか?レンブラントの展覧会を見に行った後に、テストでレンブラントを書かせる問題があって、彼の絵なら50枚は思いだせるのに彼の名前を書けなくて落胆したので、少しでも失点のリスクを減らすために、ゴロをたくさん作って、「できない」ことを埋めようと努力してきたが、自分は「できない」人間だという気持ちがつきまとうようになった。それではそんな頭を持った人にとって国語などの読字教科や読書が何故可能なのか、これは三章「カリキュラム案」で述べる。たとえ自分に劣ったところがあってもそれを埋め合わせようと努力すれば生涯学習の観点ではあまり困ることはない。

環境には選ぶことのできることもものと選べないものがある。選べるものは塾・志望校(入れてくれるかは別だが…)、その他公開講座、教養講座、図書館、インターネットなど学び媒体、活動の場(国内海外)などである。では選べない環境とは何か、親(その他付随してくる貧困)、学校の教師やカリキュラム、授業、現行の受験システムなどが挙げられる。選べない環境というのは、〈評価〉〈時間〉〈憧れ〉〈方法〉の内の多くの要素があらかじめ決まっていて、不服な気持ちを抱くこと人が多いが、一方で選べる環境がたくさんあってもそれら全てを実行するのは不可能だということも見落とせない。

環境の貧困…例えば経済的貧困から選択肢が狭められてしまうこともあります。しかし驚くことに●日高敏隆 阿部謹也『「まなびや」の行方』によると、アメリカの学生は皆大学に通うのに親のお金をあてにしないで、長期の奨学金と自分が働いて得たお金で学資金を用意するそうです…本当でしょうか?他にもファーブルは学校の先生になろうと思ったが、ある人に「必要な学力があっても財産が無い君には無理だ」といわれ、化学染料の研究でお金を稼いだという。…心から勉強をしたいと思えば、誰かに助けを求めるのでなく自力でなんとかするものなのかもしれません。

塾について…これは中学でしか塾に入ったことのない僕にはあまりわからない。中学なら、学校の補いや志望校合格のため、気分転換や楽しい場所として塾に通っていた。予算が高いことや塾側が「親子ともに合格を最優先に望むものだ」ということを前提として〈方法〉を押し付けてしまうというデメリットもあると思う。

志望校について…現行受験システムでは主にトップダウン式を採用しており、東大京大など含めた旧帝国大学、難関私立…という風に各々権威特色をもって生徒たちを惹きつけている。そのなかでどれを選ぶかで、〈評価〉〈時間〉〈憧れ〉〈方法〉も変わってくる。

公開講座、教養講座、図書館、インターネットなど学び媒体について…こういった学び
媒体は使わないで済ますこともできるが、〈方法〉の選択肢を減らしてしまうことにつながる。
親について…ノーコメント、これぐらい自分で考えて!


学校の教師やカリキュラム、授業について…現役時を思い返すと、授業内容に不満を言う人は確かに多かった。僕は割と真面目に授業を受けたけれども、全く記憶に残らなかった授業もあった。それでも現役は基礎固めが重視されるので授業時間内を集中して理解に努めれば、良書の学参の補いだけでもなんとかなるような気がしていた(でも入試は甘くなかった…あなや)ただし、その人自身の能力〈環境〉や志望校の難易度〈憧れ〉も複雑に混ざりあっているものだから効率〈方法〉が良ければいいという訳でもないだろう。カリキュラムに関しては教える側の融通が利いている授業が案外多かった。でも、肝心の知りたいところを曖昧にしてしまう先生もいて、その曖昧な部分を独力で理解しようとするのにかなり時間がかかった。まずそういった曖昧な部分に迫るには本質を掴む必要があるが、それに適した本というのは少なく、またそういった本は基本習得が前提で書かれているためある程度の学力が無いと読めないことがある。曖昧な部分が分野横断の性質を持っていれば、両方の分野に深い理解が必要であるため、本当にそういった疑問に迫ることのできたのは浪人生になってからでした。それまではずっとわからない〈方法の欠如〉という気持ちから「できない」と感じる日々を過ごしました。ただ一旦浪人してしまえば、そういった要求を満たす本を探す時間のゆとりがでた結果、自分の疑問と向き合うことができるように手助けしてくれる本と出会えたので良かったと思っている。(三章のカリキュラム案を参考)現役にどうしても受かりたい人は、参考書や塾を有効活用すればいいし、そうでなく勉強自体に興味がある人は現役を自分にとっての「問い」をたくさん作る期間にしてはどうか。能力のある人はそれだけでも受かるものだし、ない人は頑張っても受からないこともあるだろう。環境は見方次第で変わるものだ。

現行の受験システムについて…自己弁護になるが、日本の大学受験という社会システムは、「できない」人に割と優しい。(「できない」の考察なのに「できない」が自明…変だな)中国では大学受験は一発勝負で浪人はなし(自主留年は一応OK…)だから、露骨に利権競争であるし、正統性維持のための振り分け制度であることは明らかだが、日本のシステムでは、ある程度周りの理解を得ることができれば、「できない」人が少しでも成長できる時間が与えられる訳だ。それを意識していれば、受験勉強だってもっと視野を広くできるのだから、自分の実力ぐらい自分で弁えて、できるようになりたいことがあるのなら、あらゆる手段をもってそれに臨めばいいと僕は思うが、これは外部〈評価〉や自分の志望校への思い〈憧れ〉と衝突するので受験生にとって究極の問いとなる。

☆〈憧れ〉について

この術語は僕の趣味から〈憧れ〉にしただけで(おい)、人によっては目標や夢などと言い換えできると思います。〈憧れ〉の対象が、自分にとって価値の高いものであればあるほど、自分の現在の状態〈評価〉との差は大きくなります。また、その〈憧れ〉に近づく〈方法〉も難しくなり、〈時間〉もとてもかかる気がしてきます。自分の内側の〈評価〉もそれに向かっている間やそれを達成することで高まります。外側の〈評価〉も付随してくることもあります。逆に外側の〈評価〉を気にするがために〈憧れ〉を抱くこともあります。

〈憧れ〉の高さに対して〈時間〉〈環境〉〈方法〉がうまく調整できないとき「できない」と感じますが、そう思うともっと〈憧れ〉が遠くなる気がします。

知り尽くしていることにはあまり〈憧れ〉の気持ちはおきません。〈憧れ〉の反対は〈嫌悪〉などが挙げられます。例えば、「勉強が嫌い」とはどんな状態でしょうか?だれかを嫌いに思うような時は、その人が普通すべき振る舞いを逸脱して他の人に迷惑をかけているという点で自分は逸脱しないように努力しているのに、その人は平気でそれを破ることに嫌悪感を抱いている。つまり自分にも逸脱願望があることが暗に示されるし、「逸脱」に関してその人と共通項があることもわかります。これと同じように、「勉強が嫌いだ」の状態を考察すると、その勉強を嫌いに思う人は、努力をしても自分にとって理解ができないものとして既に勉強を知り尽くしているのではないか。そういう理解で自分の思考を止めてしまったために、予想外のことに出会う可能性を失ってしまった状態、これを「勉強が嫌い」というのだと僕は考える。

☆〈方法〉について
これは今本屋さんに行けば、勉強法としてたくさん売りだしているものです。他の要素
〈評価〉〈時間〉〈環境〉〈憧れ〉と相談したうえで適切なものを選べばいいと思います。


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  1. 2013/03/11(月) 20:20:03|
  2. 世界一面白いカリキュラム研究会

二章 世界一面白いカリキュラム研究会(仮称)

二章 世界一面白いカリキュラム研究会(仮称)について

近頃、自分で憲法を作ってみようという活動をよく耳にする。実際に自分の頭で憲法案を作りだすためには、下準備としてかなりの勉強が必要である。そうでない限り、恥ずかしくて人には見せられない。それによって誰にとっても理解できるものを作ろうという方向性が自然と生まれ、独断の可能性が(少しだけ)排除される。なにより自分のこととして考えるべきものなのに、人ごととして済ましてきた自分の愚かさに気づけるのがすばらしい。
 思想家の内田樹氏によれば、何かをよく知りたいと思った時、より本質に近づくためには「私は何を知っているか」ではなく、「私は何を知らないか」を起点に議論を開始し、その「答えられない問い」時間とは何か、死とは何か、性とは何か、共同体とは何か、貨幣とは何か、記号とは何か、交換とは何か、欲望とは何か…といった一連の問いが、私たちすべてにひとしく分かち合われた根源的に人間的な問いである、と主張する。(以上『寝ながら学べる構造主義』より引用)小説家の高橋源一郎はさらに深めて、自分でわからなくてもまずそれをやってみる、そうするとそれがよくわかると主張する。『一億三千万人のための小説教室 』

ならば理想の教育とはなんだろう?政治家は理想の教育を知っている、その実現方法もわかっている…と思っている。彼らの言っていることを聞いていれば、彼らが何を知らないかよくわかるだろう。僕はなにより「勉強の面白さ」を知らない点に同情を寄せる。何故なら僕も「勉強の【本当の】面白さ」を知らない一人だったからだ。我ながら【本当の】という表現に、何度翻弄されてきたかわからないが(世の中の悪書は大抵この表現を好む)、敢えて使ってみた。では【本当】とはどんなものであるか、僕は次の2つをみたしている勉強が【本当】に面白いものだと考える。
一、「教えるという行為」が、「教えられた側が自分で考える」という段階に移行するのに大きな溝があり、その溝を越すことを可能にしてくれるような内容を学べる勉強。 
二、自分で考えられるようになった人が、そこから一生涯学び続けるという段階に移行するのにはてしない距離があるが、それでも一生涯学んでいけると感じさせてくれる勉強。
この二つを満たしていればとりあえず【本当】の条件を満たしているでしょう。これは、筆者の経験上、悪情報7割を撃退できる一番簡単かつ効率的なやり方です。
でも【真】の(ここで【真】とは便宜上【本当】の上位概念)と名乗るには僕には十分でない。僕が僕のためにめざす学びは、「どんな苦しくて、言葉すら目茶苦茶になり、周りが見えなくなったとしても、それでも寄り添ってくれた、そんなものを与えてくれた」と晩年に言えるに違いないと勉強しているこの瞬間に思えるものだ。(今と晩年がループする学び…我ながらわかりにくい説明)

勉強をアクセサリとしてでなく、一生楽しんでいけたら、能力の中途半端な人でもかなり力がつく。しかし、社会人になって仕事に就いた後も、合間を縫って学問を楽しむためには、大学までの時間のある内に最低限の基礎をつけておく必要がある。今のご時世、図書館や良書、ネットなど最高のインフラがそろっているのだから、ハードルはかなり低いのだけれど、まずそれを十分に活用できない人が多い。そこで、世界で一番面白いカリキュラム研究会(仮称)では、一生学んでいくための独学カリキュラムをたくさん作って、まず自分が勉強を思いっきり楽しむ。そのうえで、無料公開して、学生や学校の先生、一般の方の良識維持のために頑張ろうではないかというごっこ遊びをしています。

一般に多くの人はカリキュラムをうるさいものだと思っているかもしれない。上からの押し付け…でもそれを大真面目にやる必要はないでしょ。大枠を与えられたら各自が臨機応変にカリキュラムを活用すればいい話なのだから。夢だの理想だのを自分が語っている分ならいいけど、それを人に押し付けるようになったらおしまいだと思う。この文章を書くために読んだ本の中には、夢を持て高い目標を持てと教師や生徒に訴えて教育改革をする本が結構あったのだけれど、これはホントはまずいのではないかと思う。それぞれの子供に可能性があり、それを生かしていこうという気持ちを持つことは確かに善いことかもしれない。でも子供達の「できない」をしっかり理解したうえで、そんなことを言っているのだろうか?もっといえば、自分の「できない」を理解してすらいないのではないか?社会のために善かれと思って、「できない」先生を解雇しているのなら、僕は頭をかしげる。もっとやるべきことがあるんじゃないか。自分が勉強を楽しむ前に、「教育」なんてできるのだろうか。「できない」は各人にとって全く違った様相で現れることは「できない」の構造で考察してきた。(まだ自分の「できない」分析が済んでいない人はやった方がいいですよ!)

ここまで「できない」の考察をさんざんしてきたが、勉強が「できない」から「できる」状態、つまり自分で考え続けれるようになる必要はどこにあるのだろうか。例えば、ある中学生が勉強をするよりゲームをした方が楽しいとか自分はスポーツがよくできるから勉強しなくても生きていけるとか、お金に困らないから私は遊んで暮らせるのよ…と言い出した時、彼らに勉強をしてもらう必要がどこにあるのだろうか。僕にとって養老孟司先生の話が興味深かったので要約してみる。

養老氏は自身の人生に大きな影響を与えた事件として、「小学校二年生の夏に起こった敗戦」「東大医学部助手になって二年目の大学紛争」「東大教授時代に起こったオウム真理教事件」(引用 『養老孟司の大言論』以降の同段落内の引用も同じ)の3つをあげる。これらの事件はなぜ起こったのか考えていくうちに、「思想の恐ろしさ」に気づく。誰にもわかってもらえない考えを持つ人が、それを自分らしさと勘違いする。思想教育を怠ってきた社会もそれを助長し、「自分には思想などという立派なものはない」「そんなものはだれか偉い人が持つものだ」という思想を持つ者が大半をしめるようになる。そんな社会では、人にわかってもらえない考えが肥大し、究極として八紘一宇という言葉が普遍的だとされたり、尊師が水のなかに一時間いられると信じる東大医学部生が生まれる。どうすればこうしたことを防げるか?養老氏は、良識をもつ近代市民からなる社会として設計されている日本社会において、全てのひとがいわゆるエリート教育というものを受け、各々が自分で考え自分の足元を点検していくしかないと主張する。

世論がそれなりに正しい判断をするだろう、という前提で成り立つ民主主義を採用するなら、国民全員が『考える人』にならないといけないのも頷ける。エリート教育というと、自分と全く違う世界だと思って耳をふさいでしまう人も多いと思うが、エリート教育は大学入試の受験勉強(とその延長)にすぎないと僕は考える。進学校だから特別な授業を受けている訳では無くて、やっている内容は本屋さんに行って、ある科目について定評のある参考書を10冊程度(ちょっと多いかな…でも3年分だからこれぐらいは最低でも)やればその科目についてまず基礎はできたようなもので、その後に身に付けた知識をもとに自分で色々考えて頭の中の整理をすれば、進学校での数年間で教わる内容をはるかに越えたものを得ることができるだろう。逆をいえば、10冊の努力を惜しむ人は、その10冊分を自分の頭で考えることだけで乗り切ろうとしているのだから大変なものである。自分で考えるという作業を続けるのはとても難しい。なぜなら、世界は言葉できれいに切り裁くことのできない複雑なものであるから。色々な方向から眺めて、一番納得のいく場所から切り進めてもすぐに言葉の刃はひっかかって動かなくなってしまうし、動かなくなった状態で無理やり動かしてしまえば、刃こぼれしてその言葉自体が力を失ってしまう。

東大や京大など難関校とよばれる大学の問題がなんであれほどに難しいのか?それは、世界が複雑であるということと深いつながりがある。僕らはともすると複雑な世界を単純に捉えようとしてしまう。でもそんな単純な捉え方では、社会制度そのものを設計することはできないし、人間とはどんな存在か、世界はどういう風に成り立っているかといった本質的な問いに太刀打ちできない。だからそういった問いと戦う人を大量生産するために、これまでの人間の研究成果を集約して、その初歩をまとめたものが大学入試で、まずそれらをはしごに考えるということがどういうことかを学んでもらおうとしているから難しいのです。例えば、普通の人には考えるのさえ恐ろしい問いがあります。「私はなぜ生きているのか?」これは考える訓練を受けた僕でさえも考えるのが怖い。どろどろしていてそこから何が飛び出てくるかわからない。そんなことを考えているなんてこの社会でいえば、大丈夫相談に乗ろうか?っていわれるのがおちです。(多分相談に乗ってくれる人も考えたことないだろうな…)でも、「自分とは何か」を考えるなかで絶対に避けられない問いであるし、もしこれまでにそういったことを考えてきた哲学者の思考力や勇気をその著書を通じて分けてもらわなければ僕には触れることすら難しい。こういった超弩級な問題がごろごろ転がっているのが僕らの生きる世界だということ、それに気づくだけでも受験勉強はとても意味のあるものだと思います。

世界一面白いカリキュラム研究会(仮称)の話に戻ってその活動を説明してみる。
1、ゲリラ運営
2、活動は真面目にせず、あくまで遊びを追求する
3、自分で自分が本当に欲しいカリキュラムをつくってみる

ゲリラ運営とは、それぞれが自分のできることを勝手にやっていく運営の仕方です。ネットなどで公開しないで私的に楽しむのもよし、勝手に「~カリキュラム研究会」と名乗って公開するのもよし、とにかくなんでもありの研究会です。自分が研究会の一員だと思いこめば入会完了、やる気がなくなれば自動解約という便利なシステムであります。世界一面白いカリキュラム研究会が仮称になっているのも自分で好きな名前にした方が面白いと思うからです。ちなみに、僕はこの発想を世界史と●森見登美彦『夜は短し歩けよ乙女』のゲリラ演劇『偏屈王』からヒントを得ています。

一人の人がリーダーとなってみんなに呼びかけるような大きな運動による解決はあまり良くないと思う。塾のように規模が大きくなれば、それだけ生きるために頼る人が多くなるわけで、所属成員も行動に制限がでてしまう。(それでも、塾が正常にやっていけるのは、その業界の多様性、相互監視力のおかげです。)組織が大きくなればそれだけ他の勢力とぶつかる確率が高くなり、面倒なことに時間をとられることになる。それよりは各々が自分のために学んでいく、それを各自記録していくという作業を続ける。全国規模でそういった足跡が残るようになって、いつの間にかネット空間にゆるやかな学びモジュールが成立し、他の団体と一線を画す勢力になっていた…。こんな風になればいいのにね。

アマゾンのレビューでやたらと批判を加えるのに、その代替策も提示しない、非建設的意見を書き込む人がいる。確かに一部に間違った内容が書かれているかもしれないが、その本が誰にどれほどの価値を持つか、本当はわからない。でも真面目に生きる人にとって、間違ったことの存在自体、許せないことなのだと思う。真面目を追求する限り、間違いを恐れ憎み罵ってしまう。そういった間違い嫌悪の風潮のせいで、「できない」人が自身の「できない」を闇に追いやってしまう結果になっていることに気づかない人が多い。

ああ、由々しきことかな。正しさを追求して間違った道を選んでしまうこの世界。こんな世界だからこそ、あそび心が必要なのだ。この研究会もあくまでごっこ遊びに徹します。
熱くなりすぎないことがごっこ遊びの良い点で、もしこんなことを本気で訴えかけていたら、同じく熱い人に、あれが無いだのこれが無いだの、お前には語る資格は無いだのどやされてしょげていたことでしょう。

ここで話題を脱線して僕が好きな現行受験モデルについてのべてみる。

現行モデルは主にトップダウン式をとっており、東大京大など含めた旧帝国大学、難関私立…という風に各々権威特色をもって生徒たちを惹きつけている。上にあがればあがるほど、希少価値は高くなっていくのだから、当然席も少なくなり、結果として望まない大学に行くことになる人もたくさんいる。それ故に、なんとしてでも入りたい。難関学校志望者は自分の学びに責任を持って、何ができるようになりたいかを見失う人は少ない(と思いたい)が、中堅の進学校になると先生すら流されて高3からセンター試験のための授業になったりするらしい。そんな先生は目先の利益に流される程度の学びしか経験していないと思われ、まずそういう人を励まして学びを基礎づける必要がある。そうでない限り、生徒のトラウマ大生産は止まらない。

次にトップダウン式である以上、避けて通ることのできない課題について、先生・生徒ともに考える必要がある。それは「もし受験の敗者にまわったときに、自分は(教え子は)その外傷をカタルシスし、さらに学び続けることができるか、そういった勉強をしているか」ということである。受験や学校教育で複雑に学びを阻害された人は死んでも勉強したいとは思わない。もっと視野の広く、時間の幅をとった教材を使用できればいうことなしだが、そうでなくても各々自主的にそういった考えを授業なり勉強に取り込む必要がある。先生が自分の分野の面白さに一度生徒を魅了させてしまえば、その楽しさから逃れられないそんな授業が望ましい。そのせいで何人かの人がその分野を少し先まで勉強しすぎて、他の教科が手薄になり受験敗者に陥ったとしても、その人の経験した学びの快楽はその外傷を癒しさらなる成長に貢献してくれる…といいな。(希望的楽観) 本来塾が民間持ち前の自由度をもってそういった授業をするべきだと思うけど、入試問題打破に特化しすぎているのが現状なので、学校教育がそういった授業をするしかないのです。

話をもとに戻して、自分で自分が本当に欲しいカリキュラムをつくってみるとはどういうことか。これを説明するのに、「自分の思っていることとやっていることが違ってくる」ことについて考察するのが一番わかりやすい。

例えば、自分はピアノができるようになりたい。一時期はピアノのレッスンに通っていたけど、受験で忙しくなって辞めてしまった。でもまたできるようになりたいと思う…という人がいたとする。数年後その人にまた会ってみると同じ事をいっている。どんな曲ができるようになりたいの?毎日練習してる?練習楽しい?ピアノの先生に指導受けてる?、と聞いても要領を得ない質問しか返ってこない。彼は、ピアノができるようになりたいと口に出すことで、何か現状を変えるきっかけになるのではないかと思っている。でも、彼自身が「できない」という状況を「できる」ように変えるためには複雑な「できない」という状況を理解したうえで、自分の身の程にあった打開策を講じなければならず、心で思ったり、それを口に出すだけでは不十分である。

「自分がそうなりたいと願うこと」と「そうなること」の間には果てしない距離があるかもしれない。でも人生は一度しかない。言い換えれば勝負は一生涯ということでもある。ここで一度自問して欲しい。自分が本当に欲しいものとは何であろうか。それは誰かが与えてくれるものであろうか。

第三章のカリキュラム案は主に僕が浪人時に出会った本から構成されていて、自分の使い方をコメントしてある。(だから『浪人マニュアル』)これは自分が現役の時に、こんなのあったらいいなと考えていたことを実現してしまったものだ。これまでにたくさんの優秀な友達や先生方に出会ってきたが、自分の欲しいと思う何かを示唆する情報はくれても、自分の満足のいく段階に至るほどのものでは無かった。自分で問いを立て、それに答えていく作業を地道に続けて、現段階までに積み上げてきたものがようやく他の人に伝えることができると思えるぐらいになったので、ここに公開する運びとなった。

自分が自分で学ぶのにカリキュラムは誰かに与えられるものだろうか。自分が本当に欲しいものは、自分しかわからないと思うし、実のところ誰かが与えてくれるものでもないのだと僕は考える。だから、自分で自分が本当に欲しいカリキュラムをつくってみる、この作業が大事だと僕は考える。

最後に同世代の学生に一言。

現状システムは、ある程度時間の融通が利く点において優れており、その平和を享受できるものが、思いっきり楽しむのが大切だと思う。そして今から未来の自分の型を決めておくといい。例えば

「僕が学生だったころはね、皆自分がどういう人間をめざしていきたいかを念頭に思いっきり勉強に打ち込んでいたものだよ。最近の子供たちは、昔より時間の余裕は少ないかもしれないけどね、勉強の楽しい部分を捨てて卒業するのは人生の損だよ。」

みたいな語りをしている自分を嘘でもイメージできるようになれば、上出来です。どんな理想も始めは嘘だったんぞ!一人の行いから、現実修正を進めていくことが良識ある社会を目指す一番確実な方法です。

  1. 2013/03/11(月) 20:17:42|
  2. 世界一面白いカリキュラム研究会

三章 カリキュラム案

三章 カリキュラム案
文系重視の内容となっています。




★文法比較・文法と意味との関係・翻訳とは何か
これから紹介する本は、できるだけ権威の勧める本の中から選びます。そのほうが、大きな選択ミスも少ないと思うからです。また、高校2年生までの基礎を固めていることが前提なので、もしそこまで辿りついていない人は(僕は卒業時にようやくそのレベルに達した…)書店やアマゾンでできるだけ定評のある参考書を買ってしっかりやり込んでください。少し手間をかければ、受験用参考書の中にもかなり質の高い本が見つかるものです。また受験特化の選択にしていませんのであしからず。

受験範囲内で区切ってみると、英文法・漢文法・国文法(口語・文語)の四種類。
●『漢文法 基礎 本当にわかる漢文入門』二畳庵主人 加地伸行 講談社学術文庫
基礎とは何かの考察が参考になり、また漢文法と英文法の比較、漢文法から語感を読みとるための説明は、他の文法を考える材料になる。一度基礎が付けば 『論語』(吉川 幸次郎がお勧め)など有名古典を読んだり、漢詩を楽しんだり(僕は一年間ラジオ講座の日本の漢詩を楽しみました。)するなかで、連文や互文の知識も蓄積し、熟語用法に強くなる。すると、日本語向上や明治の小説の理解促進につながる。(漱石らは熟語の語彙に巧みですから我々もその境地に到りたいです。)目茶苦茶な思考をするよりまず「てにをは」からという著者の主張は心にぐさりと刺さる。

以下三冊 加地氏のお勧め本
●時枝誠記『古典解釈のための日本文法』(絶版・図書館などで探してみてください、題名が「日本文法」で登録されていたり探しにくいこともあるので司書さんにお願いしてもいいと思います。…そういった探すテクニックを自分で習得してください。もう書きません。)(至文堂)
●松尾聡『古文解釈のための国文法入門』(研究社出版)(絶版)
上記の二冊は例文を源氏物語からとっています。(松尾氏の本は万葉集も)源氏を楽しんでいるうちに、古文のエッセンスを吸収できる良書です。時枝氏の本はいわゆる時枝文法で古語を、文法を構成するの「公理」の秘密に魅了される人もいるかもしれません。僕はまだ文法1年生のひよっこですが、文法の世界への入口の一冊として足田巻一の『やちまた』を紹介しておきます。松尾氏の本は「文法と意味の追求の過程」を楽しむことができます。原文と現代語訳を意味的に対応させるための努力が学べ、英文和訳の姿勢につながるところがあります。源氏物語に関して、僕は大塚ひかり全訳が、記号的解釈・源氏におけるエロス…追求の点で解説も詳しい点で初心者にお勧めです。訳は原文から感じたクオリアを反映しようとしていて、初心者は読みづらい。でも原文を読み続けると体になじんできて丁度いい塩梅になります。
●阪倉篤義『日本文法の話』(教育出版)(絶版)
国文法の口語と文語との対応関係に関して考察した書。暗記してきた口語文法と文語文法が有機的に結びつく。ちなみに●所一哉『日本語思考のレトリック』では阪倉文法を用いて入試問題を解く中で、阪倉文法が抱える問題点を指摘している。ある公理からなる文法一つで全ての説明をつけれる訳ではないので、様々な文法がお互いの体系に批難をくわえるなかでより良きものを目指す、こういった文法業界の誠実な営みは現在の政治にはあるか?

●『マンガ日本の古典』シリーズ(中公文庫)

古典に対して大きな障害を感じる人は、漫画から入るのも手だと思います。原文から捨象されてしまう部分は多いけれど、一方で漫画家がその作品をどう見たのかというビジュアル情報を直接味わうことができるという利点がある。1つのテキストに向かい合ったとき、各々がそのテキストを通じてみている世界がどれだけ違うか、興味深い限りです。


●行方昭夫『解釈につよくなるための英文50』岩波ジュニア新書
以下『英語の発想がよくわかる表現50』からの行方推薦本
● 『快読100万語!ペーパーバックへの道』 酒井邦秀
●『英語の読み方、味わい方』上田勤 行方昭夫
●『英文をいかに読むか』朱牟田夏雄
●『英語達人読本』斎藤兆史 上岡信雄
●『和文英訳の修業』佐々木高政
●『新編 英和翻訳表現辞典』中村保男
『解釈につよくなるための英文50』は、翻訳とは何かといった本質に迫る本で、高2レベルを対象としている簡単な例文の割に、学ぶところが多い良書です。しっかり翻訳を書いて、解答と比べてみないと大したことのない本だと思ってしまいます。僕も一度目は15日で適当に済ましてしまい、その凄さに全く気付きませんでした。論理の貫通度の高さは、現代文の良問と通じるところがあります。模範解答をよく読んで一つ一つの文が文章という段階に至るために、それぞれの文が全体の中でどういう役割を果たしているかをよく考えてみてください。それが文章を理解するということであり、そのニュアンスを翻訳に反映することの難しさに出会うでしょう。その段階では漢字の熟語など他の科目の理解の深さも問われるでしょう。
『解釈につよくなるための英文50』を、実践力(入試力?)にかえるためには最低でも上記の推薦本をとりあえず全部こなしてしまうのが一番早いと思います。原文を理解する難しさ、それゆえに着実に学習をするべきだと説く点で他の先生と一見似ていますが、思ったより難しく、思ったより簡単なんだという妙味を全ての本を学んだあとに感じるでしょう。京大入試を受けたものとして、一言いうと僕の持っている25カ年の全訳はあまり本文理解の深いものでなかったので、一つずつ添削しながら勉強していきましたが、この勉強はよくない。やはり「見せ菓子」のような問題だから、受験生は予備校講師を神とあがめて、予備校的翻訳に甘んじるのが一番いいです(もちろん上手な和訳の模試もありましたが…ちなみに僕は英語で爆死したので参考にならないかも)。本番に訳に拘ると時間が全然足りないのは明白だから、最初から捨てればいいのです。しかし英語屋さんはこの出題に完全解を出すべきです。こういった理系素材もしくは哲学的エッセイの問題を解説するにあたって、類書を複数読んでおいてまず原文理解のための基礎知識をため、用語の慣用的訳し方を学び、その原文がエッセイ調なのかガチガチの硬派なのかによって訳し分ける作業が必要で、それで初めて原文が理解できたといえ、生徒が聞きたい質問の内容が初めて分かるからです。(←ここが致命的に重要)生徒には理系も文系もおりそれぞれが分野に特化しているため、生徒の感覚理解のほうがずっと先生の解答より優れていることが起きうる、これが「見せ菓子」出題の怖いところで、先生がその質問をうやむやで押し切ってしまうことが続けば、生徒の不信感は頂点に達し、先生の評価失墜につながるでしょう。(これは現代文でもいえて、間違っても理系的ニュアンスが強いところに傍線を引くと、模範解答より本文理解に優れた解答が生まれてしまいます。でも、理系に弱い先生は蛇足なもしくは的外れな答えだとして減点を加えてしまうことがあります。)まあ大学の先生の「努力してそういう問題を作っているのだから、解く側もそれ相応に勉強しなさい」というメッセージとして受け取りましょう。もっと学術的素材を多読かつ翻訳したい人は 
●『横山 ロジカルリーディング』 4部作(絶版)これは現役の時に一番好きだった教材ですが、まあ面白いだけです。要約などの練習になります。絶版なので別に必要ではない。
●『テーマ別英単語 academic 』上・中・初級 翻訳が本文理解に乏しいですが、後で述べる「お勧め本リスト」などで類書を読み、その英語の原書があれば読み、良く理解したうえで訳すために使うならば、なかなか無難な文章セレクトの本だと思います。
『英語の発想がよくわかる表現50』と『快読100万語!ペーパーバックへの道』 は超初心者の人にお勧めで、多読については後に「文学」でふれます。
『和文英訳の修業』は、和文から英文に直す時にどうやって原文のニュアンスを移すか、そして慣れない言語に移すが故に、実力のなさからくる大きな伝達ミスを防ぐための視点が優れています。
行方セレクトを乗り越えたら
●『英語達人塾 極めるための独習法指南』斎藤兆史
を勧めますが、この本でも、なまじ英語力の危険性を指摘し、上質な英文を読み、それらから例文を採集して、しっかりしたコローケーションに基づいて英文を書くことの重要さを主張しています。辞書をしっかり引くことを強調していて
●『発信型英語 スーパーライティング』
などの上級試験向けの教材 (←こういった英検1級、TOEFL、通訳ガイド試験向けの良書に詳しい人がいれば教えてください。) でも同じことを強調していますが、学習成果が表れるまでにとても時間がかかることを注意しておきます。『英語達人塾』の推薦書は何度読んでも素晴らしい文章が多いので、せっかくなら朗読CDも買って、勉強したくないときに流していると楽しいです。英語は音から入りやすい言語で、良質な文章ほど流れるような感覚が素晴らしいです。(でもCNN English Expressなどニュース素材は騒がしくて繰り返し聴いていると心がつんつんしてきてあんまり好きじゃない。…まあ朗読CDにも騒がしいのが結構ありますが。)日本語でも名作の朗読はかなり楽しめます。最近は、外人が日本語を学ぶ際にいい文章のリストを考案しているのですが、実用的かつ日本語の表現理解につながる文章を選ぶのは難しい。誰か何かありますか?日本の小説を読む中でもそうやって海外の視点を導入してみるのも面白いです。
●猫舌流英語練習帖 (平凡社新書)柳瀬尚樹
『新編 英和翻訳表現辞典』は読んで面白い辞書です。特に例文に爆笑します。内容もかなり優れているので、手持ちにあって損はしません。上記の猫舌ではオリジナルの辞書をい作ることを勧めていて、それと通じるところがあります。

漢文から英文や日本語にまたは古文から日本語に移していく中で、どうして過去の言葉を現代の言葉に翻訳できるのだろう、なぜ過去の言葉がたかが文法を介してわかるといえるか疑問に思ったり●鶴見俊輔『思い出袋』のように、「言葉のうしろにある言葉」「自分の中の知らない言葉」「翻訳のすきま」といった哲学的思索にふけることもあるだろうし、●田中克彦『ことばと国家』のように、ことばの歴史を知って、自らの言葉観を点検することもあるだろう。そういった一つ一つの遠回りが「ことばとは何か」という本質に近づく一番の方法だ。
意味の境界を越える作業を繰り返す中で、様々な限界が露呈する。今まで自明だと思っていたことが信じられなくなって路頭に迷うこともあるだろう。でもそれが本質なのだと思う。これまでは気づかなかっただけで、言葉の多様性に初めて出会っただけなのだ。分野と分野の境界に立って、それぞれの分野を眺めてみれば自ずから心に余裕が生まれて、いつもより落ち着いて言葉と接することができるかもしれない。

★辞書について
質の良い辞書は暇な時に読んで面白く、実用に利くものだ。何か面白い辞書があれば教えてください。
●小内一『てにをは辞典』
本来日本語は、たくさん本を読む中で自然と身につけていくべきものなのだが、英文和訳以来日本語向上が止まってしまった人の日本語はエキゾチックなので、もしそういう人が自分の慣用表現の自然さの度合いを点検したい時に使う辞書。眺めていても面白い。
●大野晋『古典基礎語辞典』
「日本語とは何か」に迫るすごい辞書。古典を読むときに深く考える道具として重宝している。
●白川静『字統』
漢字をイメージに置き換えるときに使っています。漢字って面白い、と思わせるような字書です。
●日本語チェック2000辞典 受験勉強にはいい値段、量。

★文学
●石原千秋『大学受験のための小説講義』
小説を読むとはどういうことかを明快に解説した入門書。この本で「自分なりの小説の読み方を自覚的に把握するために、小説から取り出した物語を、一つの主語とそれに対応する熟語一つから成る一つの文に要約する練習」を勧めており、これを意識的に英語や古典を読む際も行い、面倒でも記録しておく、すると古文などの一見似た話でも、作品によって少しずつ違うという「差」を意識して把握できるようになる。『快読100万語!ペーパーバックへの道』『英語達人塾』の多読の際も意識的にこれをすることで、物語文作成を通じてその作品に潜むたくさんの主人公の意識を読みとれるようになり、読みに深みが増す。
●高橋源一郎『一億三千万人のための小説教室 (岩波新書 新赤版 (786))』
小説とは何かを知るために、小説を書くことを勧める本。自分が小説を書く立場になることで、文学を見る目がいつもと全く違ってくるので、本文のより深い理解を期待できるようになる。
●内田樹『街場の文体論』
では、我々が言葉の檻の中で「檻ごと動く」ためには、定型表現を身体化する必要があると説き、そのために母語の古典を浴びるように読むという方法が有効だといいます。「古代から現代に至るすべての時代の「母語で書かれた傑作」と評価された作品を、片っ端から、浴びるように読む。身体化するというのは理屈じゃありません。ただ、浴びるように読むだけです。それが自分の肉体に食い込んでくるまで読む。」(引用同書)
●板野博行『古文読解ゴロ565入試出典ベスト70』
国語便覧の方が網羅度が高いが、受験生は上記の565が、出典頻出順になっていて使いやすいかもしれない。自分の読みたい古文を読んで多読の中で文法をなじませていく作業も大切だ。その際に
●『新編日本古典文学全集』(小学館)
を利用するのが全訳付で初心者には便利だ。(僕は源氏物語を岩波文庫のもので勉強したが、全訳がないのでかなり時間がかかった)

ある程度古文や擬古文読めるようになってくれば
●『岩波 古典文学大系』『明治文学全集 筑摩書房』
などの全集を通して、さらにさまざまな作品に触れることができます。
 
英文も古文も読めるようになってきた人は
●ロバートキャンベル『Jブンガク』
などのように、日本の名作を英文という視点を経由させて重層的に楽しんでみてはどうでしょうか。この本につくブックガイドは文学入門に最適。キャンベル先生が学生の時『荘子』『史記』『三国志演義』『日本書紀』『将門記』頼山陽などを英語で、原文ハードルを無視して読んだという話は興味深い。僕も漢文を英文を横に置いて読破しようかな。
●山本史郎『東大の教室で『赤毛のアン』を読む』
英文学を楽しむための、「人物造形のタイプ」「物語のタイプ」「視点」「語り」について日本の小説などと比較しながら学べる本。
●宮崎駿『本へのとびら――岩波少年文庫を語る』 (岩波新書)
僕の尊敬するジブリの監督が、お勧めの児童書を選んだ本リストです。
「ほんとうを言うと、本はいっぱいは要らない、五〇冊じゃなくて一冊あればいいとも思っているんです。たとえばすごいハードカバーの重い本でね、世界のことが全部書いてあるという、そういう本ができないものだろうか、ということを夢見ていますね。」(引用同書)
僕もそんな「世界のことが全部書かれている本」をいつか書くために、日夜ネタ集めに徹しています。●吉田武 『虚数の情緒』の哲学バージョンみたいなものを40年後に書けたら嬉しいな。面白い児童書は原書で読むようにしていました。

ドイツ語フランス語韓国語ロシア語が勉強したいので、誰か良書があれば教えてください。

★本リストを利用すること
自分の好きな著者の勧める本なら、自分の苦手な分野の本も心理的に手に取りやすいと思います。ぜひ好きな「著者」のお勧め本を探してみてください。自分がよく活用したものを参考程度に
●『養老孟司の大言論』の3巻につくお勧め本リスト
●内田樹のHPで「おすすめ 本」と調べるとみれる本リスト。
●茂木健一郎『「読む、書く、話す」 脳活用術 日本語・英語学習法』の本リスト
●松岡正剛のHP「千夜千冊」 
●吉永賢一『東大家庭教師が教える 頭が良くなる勉強法』
養老は理系素材の入門書が面白くて、翻訳の参考文献に多く用いた。茂木氏の本には英語学習のお勧め映像教材(英語)も載っていて、今年はそれら全て楽しもうと思っている。またこの本で「早すぎる自伝を書け」と勧めていたので、日本語と英語で自伝を書こうと思っています。再読に耐えうるリズムのいい文章が書けるように頑張るつもり。僕は千夜千冊の「分理篇」に憧れていて誰かそれらの本を読む方法を教えてほしい。全く歯が立たない本ばかり。
吉永氏本の参考書リストの
●武井正教『新編集 武井の体系世界史』
●五島辰夫『世界史はこう整理してこう暗記する!』
●中谷臣『センター世界史B各駅停車』『世界史年代ワンフレーズnew』
は重宝しました。(←でもいまいちな参考書が多くてちょっと残念なリスト)武井の本は年表ですが、高二時の僕の尊敬する世界史の先生が、一つ一つ用語を覚えていって、パズルのピースを埋め合わせていくと、頭の中で、世界史の年表が生きたように結びついていって一つのジグソー地球儀のようになると聞いて以来、頑張って年表をイメージするようにしてきたけど、一向にその境地に達しないのはなぜでしょうか?五島氏や中谷氏の本は、暗記力が皆無の僕にとってなくては欠かせないものです。

★頭の中でイメージするということ。 
決まった道筋を決まった時間に散歩したというカントは、やはり頭の中であれほどの議論をイメージしながら歩いていたのだと思う。頭の中で情報を保持し処理していく能力を高めることの重要性に気づかせてくれた本が
●栗田哲也『数学に感動する頭をつくる』
以下この本の推薦本
●志賀浩二『数学が育っていく物語』(絶版)
●ローレンCラーソン 秋山仁『数学発想ゼミナール』
●栗田哲也『目で解く幾何』
●矢野健太郎『幾何の有名な定理』
●清宮俊雄『幾何学』
●佐藤肇『幾何の魔術』
僕が上に補うとしたら
●栗田哲也『マスターオブ整数』『マスターオブ場合の数』
数学はこれらのレベル以上までやって初めて文系科目に生きてくる。受験数学を公理系から基礎づけていく作業は、文系の哲学や歴史、文法の基礎づけ作業ととても似ている。高校数学で多くの文系が数学を辞めてしまう現システムはとても残念だし、栗田先生がいなければこんなに楽しいものだとは思わなかった。これだけ面白いと、数学を止めろといわれても止めれんだろ!という数学依存に陥ること覚悟。特に『目で解く幾何』は高校入試用の参考書だが、浪人生になるまでずっと持ち続けていた図形コンプレックスを粉砕してくれた。『幾何学』は、拡張の勉強になり、問題を作ったり、ある問題から新たに性質を発見していく作業が楽しい。幾何学の問題を解きながら散歩するのも楽しい。眠れないときもこれまでは無為な時間を過ごしている気がして嫌だったが、頭のなかで幾何の問題を解いていればすぐに頭がぼーっとして寝られる。『数学が育っていく物語』は普通に生活していたら一生出会わないような、数学の世界観につれていってくれる。数学の世界は『指輪物語』とかのファンタジーと響きあうところがある気がする。ただし、僕は半年かけて半分も分からなかった。『幾何の有名な定理』は複素数を使うので新課程向き。旧課程の僕は石谷茂『複素数入門』(絶版)などを補助にしたが、複素数ベクトルに関するいい演習の本は無いのかな?誰か教えて欲しい。行列式で書かれても訳が分からない。『数学発想ゼミナール』は答えが付いていなくて受験には適さない。『幾何の魔術』も受験には適さない。『マスターオブ整数』『マスターオブ場合の数』は推薦本付でさらなる展望もあり、これからが楽しみ。

●岡田斗司夫『あなたを天才にするスマートノート』
●トニーブザン『ザ・マインドマップ』
言語情報が半ば死んでいる僕がなぜ現代文の問題が解けるのか?高3の時の現代文の授業で、一つ一つの文章に関して授業プリントの裏に、初読と読後の感想を書かせられて、それは図やマインドマップで書いてもよかったので僕は、その文章の本質だと思ったことを中央に絵と共に書いて(情報、倫理、排除、死など)それから派生するイメージを周りに伸ばしていく、こういった作業をするなかで、そのテーマに関する哲学的考察を前もってしかりしておいた。すると●石原千秋『教養としての大学受験国語』で指摘するような「思考のための座標軸」があるために、試験で初めて見る文章でも、それが自分の考えとの違い発見、つまり「公理は何か」や「それをどう組み合わせているか」の考察のみで済む。あとは論理整理だけだ。
●中内伸光『ろんりと集合』
●野矢茂樹『新版 論理トレーニング』
二つの本のつながりが少し悪いが、代用品を誰か教えてください。

マインドマップはできるだけ時間をかけてホントに本質だと思うことや覚えておきたいことを選んで派生させていった。たくさんの参考文献を探してきて、本質が書いてありそうな部分を重点的に探して自分の思っていることと比べながら読む。ページをめくっているとある物事の考察をするために異常に「ため」をしている箇所に遭遇することがあり、そこがその著者の独創的な箇所であることが経験上多いです。よって、僕が「読む」本は硬派の本(哲学・数学などの専門書)や本当に面白いと思えるような本だけで、大体は知っていることを別の方向からみるための「目を通す」作業であるので、基本的に読字スピードが遅くても、あまり学習には支障がでないのです。(参考佐藤優『読書の技法』)マインドマップで思考を全て絵に変換する作業を通して、内容が記憶にも残るし、なにより書いていて楽しかった。また、日頃思いついたことを『あなたを天才にするスマートノート』などの方法を用いて面白い形に変えていくことも続けている。

英語屋さんは自分の思考の動かし方を点検するのに英語よりもまず現代文から始めるといいと思う。現代文の参考書はどれがいいかわからないので、良いと思ったものを羅列するにとどめる。
●『出口 現代文講義の実況中継』
●吉岡友治『東大入試に学ぶロジカルライティング』
●東進HPで無料で手に入れられる京大東大の過去問(答えと原文を対応させて色マーカーをぬってみて使う)
●棟明朗『思考訓練の場としての現代国語』

★社会科目について
僕は現役は世界史、地理を2次用に、浪人は世界史2次、日本史センターで使いました。

歴史を学び続けて欲しいなら、もともと歴史そのものが好きな人を別とすれば他の古典や哲学、文学の魅力に引き込んだ方が早い。それらを本気で学ぼうと思うなら歴史の知識はかかせない。
☆世界史
●津野田興一『世界史読書案内』
●荒巻豊志『荒巻の新世界史の見取り図』中
●山内昌之 『歴史学の名著30 』(ちくま新書)  政治学・社会学・宗教学版もある
これらの世界史入門書リストの本を読みながら、
●『詳説世界史研究』
などの詳しい専門書と用語集を組み合わせて、論述対策をしましたが、実際に設問要求に適した解答を書くのは難しく、受験生は予備校や通信添削で鍛えた方がいいです。僕もHP「受験生のための世界史教室」で中谷先生に添削していただきました。
 自分で色々問題を作って、それに答えを与えていく勉強は楽しいけど、学校教育の歴史は記憶と編集技術しかためされないのだから、思考時間の無駄として切り捨てた方が賢いかも。
 問題を立てて、それに答えを与え、文字の形に残して蓄積していくと、自分の歴史認識の薄さが身にしみて分かってくる。同時に歴史がわかるということがどういうことなのかも自分の状態の対極にうっすら見えてくるでしょう。日本史に関しても世界史と同様、問いを作って答えを蓄積する作業を続けていきたい。
☆日本史
日本史は用語暗記で精いっぱいで
●橋本治『ひらがな日本美術史』
や、網野義彦、加藤陽子、坂野潤治らの著作を楽しんだ程度なので、誰か詳しい人は面白い本を教えてください。
☆地理
●山岡信幸『山岡の地理B教室』
●『地球の歩き方』
定番の教材しか知らないし、現役に東大対策で勧められた教材はどれも微妙な感じがした。もっと面白い教材があればいいのに。山岡は地理の入門書にして良書。『地球の歩き方』は知りたい国があった時によく借りて写真を眺めていた。世界史の知識と現代の状態が有機的に結びつく。

☆倫理
資料集などを使って興味のある人を見つけてその原書をよめよめ。
●永井均『倫理とは何か 猫のアインジヒトの兆戦』
●内田樹『寝ながら学べる構造主義』
●竹田青嗣『現代思想の冒険』
●熊野純彦『西洋哲学史』(岩波新書)
など入門書を探してそこから入るのも手だけど、やはり原書よめよめ。
『数学が育っていく物語』で数学を勉強するようになってから、現代思想や熊野氏の哲学史をイメージ的にすんなり受け入れやすくなった。

☆政経
●長谷部恭男『法とは何か』『憲法とは何か』
制度を根底から考えるのはなかなか難しいです。政経で「~とは何か」という本質な問いといえば他にどんなのがあったかな?誰か制度の本質に迫れるような良い問いを教えてください。

  1. 2013/03/11(月) 20:14:32|
  2. 世界一面白いカリキュラム研究会
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